屋形崎の
中村さん一家

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小豆島の夕陽スポットへ

屋形崎を訪ねて

夕日がきれいと知られる小豆島の中でも、

春から秋にかけて特に素晴らしい夕日スポットとなる屋形崎。

 

穏やかな瀬戸内海に浮かぶ島々の、

そのまた向こうに沈む大きなオレンジ色の陽は、

いつも多くの人の心を奪う。

 

日本の夕日百選にも選ばれた景色はどんなだろう。

てっぺんに向かって昇る眩しすぎる太陽と、

青く煌めく海を横目に見つつ、歩いた。

 

私がここへ来たのは、ある“小豆島の名物スイーツ”が目当てだった。

島外から、わざわざそれを求めて訪れる人も多いという。

 

もちろん夕日も気になるが、花より団子。

日が傾ぐまでには時間があるため、少し探してみることにする。

 

途中、地元の人に販売所の場所がわかりづらいと聞いたため、

まずはそのスイーツを製造している中村さんという

家を訪ねることになった。

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船の往来で賑わった瀬戸内海

小豆島を支えた海運業

屋形崎の青い海が眼下に広がる小高い土地に、

中村さんの家は建っていた。

 

大きくて立派な日本家屋だった。

迎えてくれたのは、家長の喜録さんと

その息子夫婦、清さんと奈美さん。

 

中村家は現在、縫製業を生業としており、

その傍ら、主に奈美さんがスイーツの製造・販売を

行っているという。

 

「販売所はわかりにくいもんで、あとで案内しますね」

 

そう言いながら、奈美さんがお茶を出してくれた。

 

日当りのいい庭を望む畳敷きの間には、

何枚かのモノクロ写真が飾られている。船だ。

 

写真を眺めていた私に気づき、

中村家の人たちはいろんな話を聞かせてくれた。

 

小豆島では昔から、海運業が盛んだった。

運んでいたのは、島で切り出された石。

 

小豆島には、史跡として今も石切丁場がたくさん残っている。

海と山が隣り合わせになっている土庄町の北部は、

特に石切り場が多かった。山で石を削ると、すぐに

海へ運び出せる。そんな地の利が、小豆島に

石産業の発展をもたらした。

 

小豆島の石の産地としての歴史は古い。

 

大阪城建立の際には、小豆島からたくさんの石を切り出し、

大きな船に積んで海を渡り、大阪まで運んでいた。

 

運ばれる石には、石の採れた土地を所有する武将ごとに

異なる刻印が、 しっかりと刻まれていたそうだ。

 

今のように防波堤もなく、クレーンもない当時は、

船で運ばれた石の積み降ろしに干潮、満潮を利用した。

潮が低いときに船から陸へ石を下ろし、

海面が上がってくると同時に船を浮かせる。

 

また、小豆島は西と東をつなぐ経路の

中間地点ということもあり、 台風などの折には

強い風が通り過ぎるのを待つため、 多くの船が

停泊する“舟隠し”として機能していたという。

 

昔からこうした海運技術や航海技術が発達したことで、

小豆島は活発に物資が出入りするようになり、栄えていった。

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栄華を極めた石船時代

喜録さんの見た屋形崎の昔

昭和二年生まれの喜録さんが15、6歳になるころまでは、

眼下の海を、九州から工場地帯であった尼崎のほうへと

行き来する船が見えたという。

それらの多くは石炭を積んだ蒸気船で、皆一様に

煙を吐いていた。

 

大阪城時代から戦時中にいたるまで、小豆島から出航する船の

多くは島で採れた石を積んでいた。

 

それらは「石船」と呼ばれていたそうだ。

このあたりでは、屋形崎がもっとも多くの石船を持っていたらしい。

山から採ってきた石を、木でできた二輪車に載せては

下の浜へ運び、 船に積み、空になった二輪車を押して山をのぼり、

また石を載せ……。 そんなことが、朝から晩まで繰り返された。

 

運ばれていった石は、列車の枕木に使われたり、川の護岸を

整備するために使われた。 今は穏やかな瀬戸内海も、

ひっきりなしに石船が往来していた時代があったとは。

今とは違う、そんな光景を想像するだけで感慨深くなる。

 

中村家も、かつては海運業で生計を立てていた。

喜録さんが船乗りを始めた時代には、すでに石船を

見かけることはほとんどなく、機帆船といって雑貨や衣料品、

食料などを運ぶ船が大半だったそうだ。

 

喜録さんは主に、高松から大阪を行き来する船に乗っていた。

喜録さんが住む屋形崎には、海辺から山側へ向けて徐々に

高さを増していく芋畑や麦畑が、段々畑になって広がっていたという。

 

ここで採れたサツマイモを関西へ運ぶと、それが焼酎に姿を

変え出回った時代があった。 たっぷりと荷物を積んだ機帆船は

高松を夜に出発し、朝には大阪に着く。

 

喜録さんらは一晩を大阪で過ごし、島へと帰って来る、

そんな船乗り時代を生きてきた。 

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縫製業へ家業を移す

柔軟に生き抜く人々

戦後以降は、小豆島から出る船の数はだんだんと減っていった。

喜録さんは、定期航路の船で鋼材などを運ぶようになっていたが、

早々に息子たちへと船を引き継いで、まったく畑違いの仕事を始める。

 

それが、縫製の仕事だった。 喜録さんの妻が岡山県の日生(ひなせ)に

ある会社から依頼を受けて、 縫製の下請を始めることになったのだ。

 

ちょうどその頃、事故により船を降りていた息子の清さんが、

母の仕事を手伝うようになる。 家畜小屋を改造してミシンなどを

置いた。まず作ったのはブルーシートだった。

 

最初は飛ぶように売れたものの、4、5年ほどすると、

今度はフレコンバッグという土嚢代わりにしたり穀物を

保存したりする大型の袋を作り始めた。

しかしそれも中国などの安価な製品に押され、

加工賃が安くなってくると、また違う製品を作るようになる。

 

だいたい10年ごとに手がける品が変わっていき、

家業はそれでも順調にまわっていった。

 

海運業から縫製業に切り替えて、かれこれ40年。

ここまで続いてきたのには、

中村さん一家の柔軟な考え方があった。

 

「まあ、うまい具合にって言うたらいいんですかね。

これじゃないな、というタイミングで新しい仕事が舞い込んだり、

こっちからも何かないかと尋ねてみたり。うまいこと仕事があれば、

じゃあやってみようとやってきましたね」と清さん。

 

加えて、彼らには船乗りのときに培った手指の器用さがあった。

船乗りは基本、身の回りの細々としたことを自分で

こなしてしまうという。

 

にこやかな顔で、たくさんのことを話してくれるご一家。

彼らから伝わる雰囲気と、さっき見た屋形崎の海景色が重なって、

旅先ですっかり穏やかな気持ちになった。

 

そこへ奈美さんが、「よかったらどうぞ」といって何かを運んできた。

それは、私が求めてきたものだった。

 

「小豆島ロール」

 

小豆島の太陽を燦々と浴びた無農薬のレモンを使ったロールケーキだ。

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小豆島レモンの恵みをスイーツに

甘くて酸っぱい瀬戸の味

私が屋形崎で探していたスイーツとは、

このレモンロールケーキだった。

 

中村家は、縫製業の傍ら「瀬戸のスイーツ ウェーブ」

という名でスイーツの製造・販売も行っている。

 

小豆島ロールには、中村家が育てた無農薬レモンが

使われている。

 

黄みがかった、見るからにきめの細かい生地の中には、

ふわふわのレモンクリームがたっぷり入っている。

 

フォークを通すとほどよい弾力があり、

ひと口食べれば爽やかな酸味と甘さがいっぱいに広がった。

 

ふんわり、なのにしっとりとした柔らかな生地は、

素朴でなめらかで、ちょっとした感動すらあった。

 

清さんの妻・奈美さんがケーキづくりを始めたのは、2011年から。

 

「私の兄がね、12、3年くらい前になるんですけど、

小豆島で初めて無農薬のレモンを植えたんです」と奈美さん。

 

当時から、一家に一本レモンの木が植えられることは

めずらしくなかったが、実際にその実を家庭で使うことはなかった。

 

「たまに市販のレモンエキスを使うことがあるんですけど、

それがレモン本来の味とすり込まれてしまっていたんですよね」

 

「でも」と、奈美さんが続ける。

 

「国内産で無農薬だと、全然違う。こんなに美味しいもんなんやなって」

「レモンの実をかじってみると、酸いみの中に甘みがあるね」と清さんも

誇らしげに言う。

 

奈美さんがここまで美味しいケーキを作れたのは、

素材のよさばかりではない。プロのパティシエに

技術を習ったり、テレビ番組でケーキについて

放映されていたりすると、録画して何度も見返したりした。

 

喜録さんや夫の清さんが「ほどほどでええんと違う?」と言っても、

「いや、これではまだまだ」と、決して妥協せず試作を続けたそうだ。

奈美さんの「無農薬レモンの魅力を届けたい」という思いと

努力の賜物だった。

 

もちろん、手作りなので一度に大量には作れない。

それでも需要は多い。

 

奈美さんはロールケーキのほかにも、無農薬レモンを使った

パウンドケーキやレモンの皮を混ぜたママレードも作っている。

 

どれもこれも、太陽の恵みをたっぷり含んだ

みずみずしいレモンの味がする。

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次世代が紡いでいける風景を

海と夕日とかけがえのない景色

すっかり中村さん宅に長居してしまった。

「小豆島スイーツ ウェーブ」の販売所まで案内をお願いし、

念願のお土産を購入した。

 

その後……。

 

3人は自慢のレモン畑を見せてくれた。

太陽の光をシャワーのように浴びて、

鮮やかな緑色をしたレモンたちが所せましと

木に連なっている。

 

「小豆島いうたら皆さんオリーブって言いますけど、

その中にレモンがあってもいいんじゃないかな、そう思ってます」

そう清さんは言う。

生まれ育った屋形崎、ひいては小豆島のこれからを、

小豆島ならではの無農薬レモンの力で元気にできたら――、

そんな思いがあるという。

 

「屋形崎は小豆島の中でも一番といっていい夕日のきれいなところ。

それを生かして、自分たちで育てた無農薬のレモンや農作物を

販売する道の駅が作れたらいいなって思ってます」と奈美さん。

 

かつて、屋形崎きっての夕日スポットには、杏畑と海を

見下ろす景色が広がっていた。 それはそれは美しく、

連日多くの絵描きが写生に訪れていたという。

今は草木が生い茂っているその場所も、今後10年かけて懐かしの

風景を取り戻したいと、清さんたちは地域の人たちと動き出している。

 

「僕らのあとを、若い人がつないでくれるような行動をしないとね。

我々が途中でやめてしまったら、若い人だってついてはこれない。

やり始めたばかりなんですけどね。とにかくひとつずつ前に

進んで行こうかなって」

 

小豆島に暮らし、ずっとずっと、屋形崎を故郷として生きてきた

中村家の人たち。決して大それたことは言わないし、壮大な夢を

描くわけではない。

けれど時代の移り変わりを知り、なお新しいことに挑戦する彼らは、

小豆島に根づくあたたかな懐を知っている。

 

小豆島の恵みに抱かれ、それを心から愛するからこそ、

周囲の人たちを真っ直ぐに魅了してくれるのかもしれない。

 

ご一家にお礼を言い、レモン畑を出ると、そろそろ日が

傾き始めるところだった。

 

「小豆島一の夕日が見られるのは、もうすぐかな」

 

そう呟いて後ろを振り向くと、

手を振る3人の笑顔が眩しく見えた。

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Profile瀬戸のスイーツ ウェーブ

中村縫製を営む中村さん一家が本業の傍ら営むスイーツ店。無農薬で育てた「レモンロール」「おいもロール」ほか、ママレードやパウンドケーキも人気で、島外の姫路方面からはもとより東京からも訪ねてくるお客さんが多い。

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