石原みかん農園
石原健次郎さん

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石原みかん農園
石原健次郎さん

みどりの葉の茂る中

小さなみかんの子供たち

小豆島の太陽の光が、ちらちらと緑の葉に遊んでいる。

こんもりと茂ったみかん畑に足を踏み入れると、
柔らかい土が靴越しに触れた。

緑の濃い、澄んだ空気の匂いがする。
葉っぱだけに見えていたその樹に近づいてみたら、
まだ緑色の小さな実がついていた。 

まん丸だと思っていたその青い実は、よく見ると
真ん中が少し尖っている、ちょっと不思議な形だ。 

ほかの実はどうだろう? 確かめようと辺りを見回して、
木々の間を歩く人に気付く。

会釈をすると、こちらに向かって来てくれた。
にこにこ笑う、やさしいお顔のおじいちゃん。

このみかん農園の主、石原健次郎さんだ。

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石原みかん農園
石原健次郎さん

嵐とみかん

小豆島の人々とみかんの出会い

もともと、石原さんのみかん農園の辺りは
さつまいもや麦の産地だった。 

昭和49年、夏の初め、小豆島を集中豪雨が襲った。
土石流が発生し、島にある池は決壊した。
人々や家、田畑にも大きな被害が出た。
地層の間に水分が増え、それが引き金となって
大きな地滑りが起こった。 

小豆島の人々は大切な土地を守るため、12個の井戸を掘り、
パイプで水を抜き、 そうして島を立て直した。

さて、嵐の通り過ぎた土地を、今度はどうやって使おうか?
村で相談した結果、みかんの木を植えようということになった。
その当時、世間ではみかんが流行していたのだという。 

はじめは早生みかんが主流だったが、段々と品種が増えていった。
家によって様々な種類のみかんを扱うようになり、
一時期は村中がみかんの木でいっぱいになったそうだ。

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石原健次郎さん

スイートスプリングの専門家

気難し屋の甘い春

石原さんは現在、3種類のみかんを扱っている。
勿論どのみかんも石原さんの力作だが、彼の育てている
品種の中で特に珍しいのが、スイートスプリングという
種類のみかんだ。 

上田温州と八朔を掛け合わせてできたスイートスプリングは、
八朔に似て外皮が厚く、実はぷりぷり。

皮が固くて剥くのが少し大変だけれど、苦みは控え目で、
爽やかな甘さと程良い酸味が楽しめる。 

市場でスイートスプリングが貴重品とされるのは、
栽培が難しいからだ。 取り扱っているみかん農家も少なく、
中々お目にかかれない。しかし石原さんはこのみかんを、
30年間作り続けている。 

接ぎ木で木を育て、10年かけてより良い栽培方法を会得した。
スイートスプリングの経験を文章に綴って、育て方を他の
みかん農家に伝えたりもした。

困難なんて有り余るほど訪れただろうに、石原さんは
スイートスプリングの栽培を止めなかった。 

きっと、どうしてもこの味をみんなに教えたかったのだろう。
ひたむきな石原さんに、この気難しいみかんもすっかり心を開いたようだ。

石原さんは、今ではスイートスプリングの専門家だ。

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毎日が研究日和

技術を自分のものにすること

「まだ青いみかんは、尖っとるのがええんや」 

青いうちから丸いものは、育つにつれて実が割れてしまうという。
農園の小さな青いみかんたちが尖った形をしているのは、
石原さんの研究成果のひとつだったのだ。 

石原さんは農園生活の中で、みかんに対する鋭い感覚を身につけてきた。
今でも絶えず研究を続け、みかんにとって一番良い条件や栽培方法を
見つけ出している。 石原さんの作業場には、チョークでびっしりと
書き付けられた壁がある。 

いつ水をやったか、薬をどれだけ撒いたか、もう何十年も
記録し続けているのだそうだ。 

この木は500kg以上実をつけたら、許容量を越えてしまい、
来年は収穫できない。木に成るみかん1個に対し、
葉は70枚程度にするのが良い。 

みかんの葉を1枚減らすと、根が沢山減ってしまう。
どういう風に剪定したら上手く葉が増えるか…、
彼は長い間みかんと向き合って、ひとつひとつ
知識を見つけていった。 

中には教えられたことと違うこともある。
けれども石原さんは自分を信じ、独自の技術を編み出し続けてきた。
常識を鵜呑みにするのではなく、実際に目で見たものを真実と決めて、
一歩一歩進んできた。 

「自分の技術に自信を持つことやな」 

それが彼のこだわりだ。
石原さんは、今日も真正面からみかんと向き合っている。

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まずはひとくち

驚きの味、スイートスプリング

今でこそ貴重なみかんとして市場に出るスイートスプリングだが、
石原さんがこのみかんを扱い始めたころ、
大阪の市場でこんなことを言われたそうだ。 

「このみかんだけは、絶対に作るな」 

美味しいかどうか分からないし、 皮が固いので女性には
敬遠されるのではないか。そういう理由だったが、
実際のところ味は一級品。 

櫛切りにされたみかんの、鮮やかなオレンジ色。
果汁をたっぷり含んでつやつやとした一切れにかぶりつくと、
みかんの爽やかな香りが鼻を抜け、思わず頬が緩むほどの甘みと、
控え目な酸味が絶妙に調和する。 

それから口の中でぷちぷちと弾ける粒の楽しさ。
収穫したスイートスプリングを、まず最初に
学校の給食に出してもらった。
すると子供たちは大喜び。 果汁が口いっぱいに広がって、
おもわず零れるにっこり顔。 

教室に満開の、笑顔の花が咲いた。
市場の人にも、皮を剥いて一口食べてもらったら、
こちらはびっくり顔。 

「こらぁ、ごっつおいしいやないか!」 

都会の料亭では、スイートスプリングを料理に使ってもらった。
するとある果物屋の社長から是非とも取引したいと、
すぐさま連絡があったという。 

「こんなみかんがあったのか!」 

社長は料亭で食べた石原さんのスイートスプリングに、
すっかり度肝を抜かれてしまったのだ。 

専門家をも唸らせた、新しい味。
こんなに美味しいみかんがあることを、みんなにもっと広めたい。
 

まずはひとくち、このみかんの魅力を知ってもらいたい。
石原さんの強い願いだ。

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石原健次郎さん

みかんと一緒に歩む人生

毎日少しずつ進むこと

日々の研究を重ねて石原さんが生み出した、自慢のみかん。
田んぼや畑は若い衆に任せても、 みかんだけは、まだまだ
自分の手で頑張りたい。 

情熱と技術の粋を集めたみかんが沢山の人に喜ばれ、
石原さんはそれを糧に、更に研究を重ねる。 

今よりもっと美味しいみかんで、 もっと沢山の
人に喜んでもらえるようになる。 

そうやって毎日少しずつ進歩していくのが、
彼にとってはきっと、なによりも嬉しいのだろう。 

石原さんがみかんを育て、 みかんと一緒に石原さんも、
農園も育ってきた。 そうして、これからもずっと。 

研究熱心なおじいちゃんが作った甘い、あまーい自信作。
あなたも一度、味わってみてはいかがだろうか。

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Profile石原健次郎さん

小豆島出身。昭和49年に小豆島を襲った集中豪雨以降、農園を営んでいた石原さんは、みかんの栽培を始める。現在は、特に栽培の難しいスイートスプリングをはじめ、デコポン、はるみという3種のみかんを手がけている。数十年に及ぶ日々の研究成果は細かく資料にまとめられ、他の農園主のバイブルにもなっている。

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